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イスタンブールに到着してもう3週間が過ぎた。今回はここでの生活の中で経験したこと、考えたことを書こうと思う。

2、3年前のこと。大学のワークショップで初めてアメリカに行った時。滞在したユースホステルで一人のトルコ人と出会った。一晩同じ部屋で過ごし、片言の英語で話をして、なんとなく連絡先を交換していた。それからずっと連絡を取り合うことはなかったのだが、ギリシャについた頃、トルコでの滞在先を探している折にふと思いだしてメールを送ってみたのだった。

彼の名はFurkanという。結果的に私たちは再会することができた。果たされるべき再会であったかどうかといえば、全くそんなことはなかった。お互いにお互いのこともよく覚えていなかったほどである。それでも彼は私のために場所を見つけてくれ、到着の日に出迎えてもくれた。黒のVOLKSWAGEN GOLFの中には奥さんと2ヶ月になる赤ちゃんが乗っていた。私は汚い身なりでたくさんの荷物を載せた自転車を引いていた。あの日からいろんなことが変わってしまった。ここでこのようなかたちで再会することなんてこれっぽっちも考えていなかった。しかし私がこの道を選び取り、彼がその道の上にいてくれたことには、大きな意味があったのだと思う。

彼に連れられてたどり着いた場所は、彼の家でも彼の友達の家でもなかった。大学生が共同で住むアパートである。学生たちに会う前に彼が私に言った。「彼らは皆ムスリムだ。酒も飲まないしタバコも吸わない。そのことは心に留めておくように」と。そういって彼は自宅へ戻っていった。こうしてイスタンブールでの日常が始まった。

家に入ると中には5人ほどの学生がいた。トルコの大学生も日本の学生と同様、ほとんどは英語を話さない。しかし彼らはとても親切に歓迎してくれた。温かいチャイとお菓子を出してもらった。少し話をしたあと、彼らはこの日最後の祈りを捧げ、私はそれを側で見ていた。

次の日、学生の中の一人がモスクに行くといって体を清め全身を白に包んだ。彼の透き通った笑顔によく合っていた。その笑顔、これまで見たことのない類の笑顔を見てはっとした。何かどうしても知らなくてはならないものがそこにあるかのような気がした。出かけようとしたとき、私は心を決めて言った。「お祈りしたいから連れて行ってくれ」。もちろん生半可な気持ちでやるものではないことは分かっていたが、彼は快く承諾してくれた。イスラム教に直接触れる機会がない日本では、イスラム教に対する様々な偏見や憶測を持つ人で溢れていることと思う。私もその中の一人だった。しかしイスラムは決して偏狭な宗教ではない。「我々は決して強制することはしないが、一緒に学びたいというならば喜んで歓迎する」と彼は言う。近所のモスクは二階まで満杯。金曜の昼の礼拝はムスリムにとって最も大切なもので、必ずモスクでイマームの話を聞いたあとに特別な祈りを捧げるのだという。トルコ語での話が終わったとき全員が立ち上がって整列した。このときに大切なのは、つま先の位置を揃えることと肩を隣同士で密着させることだ。イマームの声に合わせて一斉に礼拝の動作をする。初めての私はもちろん見よう見まねである。服が擦れる音や膝をつく音で空間が震える。こんなにも多くの人が同じ目的で存在し、同じ出来事に関与しているというのは、それ自体並々ならぬ力をもつ。ふとキリスト教の教会で見たことのある礼拝者の姿とは全く違うと思った。彼らはどちらかというと神と一対一で関係しているような印象だったが、ムスリムは全員がひとつになって神と対面している、といったふうである。礼拝後たくさんの人が声をかけてくれたり握手を求めてくれたりした。温かい何かにつながれたような気分になった。こうして私のムスリム体験生活が始まった。

翌日の土曜日、他の20人ほどの学生が家にやってきてイスラムについての勉強会をするというので私も参加することにした。トルコの家にはSalonと呼ばれる部屋があって、たいてい真ん中に絨毯が敷かれそれを取り囲むようにソファーが4つ置かれている。食事をしたり話をしたり、夜はソファーを倒してそこで寝たりもする。日本で言えば昔の居間のようなものだ。異なるのはここが祈りの場にもなるという点においてである。彼らとひととおり挨拶を交わしたあと、皆で食事をとる。

取り皿は使わずスプーンやパンを使ってそのまま口に運ぶ。膝を立てて座るのは日本では行儀が悪いと言われるかもしれないが、これが床に置かれたものを食べる際にはいたって合理的である。正座では皿まで遠すぎる。あぐらでは場所をとりすぎてしまう。食後は祈りの時間。こうして家で礼拝する際はその中で最もふさわしい人間がイマームの役をする。今回はニジェールからの留学生だ。彼はアラビア語を話し、コーランを全文暗唱できるという。英語も完璧に話す知的な男である。周りのトルコ人も一目置いているようだ。祈りの後は皆で読書。私のために英語の本を用意してくれたのでそれを読む。眠気が襲ってくるころにチャイが運ばれ、しばしの団欒。イスラム教のことは何もわからない私にいろんなことを教えてくれた。話をする目がとても輝いている。私のことにもすごく興味をもってくれて、英語がトルコ語に訳されるたびに歓声が巻き起こるといったふうである。この日はここで会った男に家に誘われ、結局泊まることになった。次の日も勉強会の続き。トルコの伝統料理らしいMaklubeというものをごちそうになる。

大きな皿の中央にご飯を炊いた鍋を逆さまに置き、その周囲にヨーグルトとサラダを交互に敷き詰めていく。

準備が整いゆっくりと鍋が外される。それが戦闘開始の合図である。一斉に米の山をなし崩し必死にむさぼる。うまいが熱い。そのときに役に立つのが冷たいサラダとヨーグルト。混ぜて食べるとなおうまい。しかしこの料理がもつ重要な意味は味ではない。人と人の結束力を高めるというイスラムの考えがここにも現れているということだ。私にはメッカのKabeを想起させる。食事の中にも宗教的なイデアがちゃんと潜んでいるのである。

あっという間に完食。まさに戦場。食後は友人が買ってきてくれたコーランの英訳を読む。わからないところは質問をする。すると皆が質問以上のことを丁寧に教えてくれる。礼拝の動作がもつ意味や唱えるべき文章の意味内容を知れば知るほど、祈りを捧げる自分の体が周囲に溶け込み、心のまなざしがひとつの正確な方向を向いているかのような感覚を覚える。それまで暗がりの中にあった道筋がかすかに光を帯びてきたかのようなイメージを獲得する。その先にある何かしらの存在に祈りを捧げている自分を発見する。しかしそれがアッラーであるという確信が私にはない。ゆえに私はムスリムではない。そのことを察したのか友人の一人がこう言ってくれた。「君は祈りたいものに祈ればいい」

信仰と理解とは別のものである。だが決して入れ違うことはない。私はイスラムの信者ではないが理解者ではありたい。彼らが信じるものを尊重することができなければ、本当の彼らの存在に触れることはできない。

それからというもの観光らしきことはほとんどせず、友人に連れられて学校の授業に出たり一緒にお祈りをしたり食事をつくったりと、彼らの日常の中ですごす日々が続いた。そこにはやはり宗教が切り離せない存在としてある。大学の中にもモスクがあり、礼拝の時間になると真摯な学生たちはちゃんとそこへ行く。しかし宗教に対する態度は人それぞれであり、特に若者の宗教離れはトルコでも顕著なようだ。それに対しての良し悪しについて私は判断することはできない。しかしこの数週間で親しくなった人々は大体において真面目な信者である。それは偶然なのか。

学校へ行くと友人に友人を紹介されそのまた友人と知り合い、芋づる式に顔見知りが増えていった。一人で歩いていても必ず誰かに会うので一人になることが難しいほどである。カフェに誘われてチャイを飲みながら話をする。家に誘われて食事をごちそうになることも多々。

この日も朝食に誘われて友人の同郷の方々の家へ。彼らは私からすれば父や祖父といった世代である。以前声をかけられてここでの勉強会に参加したこともあった。そこには学生だけでなく様々な世代の人が集まり、互いに話をしたり共に知識を身につけたりしていた。イスラムの素晴らしい文化の一つには、横のつながりとともに縦のつながりも大切にするということがある。年長者は若者の面倒を見るし、年下は年上を敬うという関係性がしっかりとある。かといって日本のように形式にこだわりすぎるところがない。写真の真ん中に座っている方が別れるときに抱擁を交わしながらこう言ってくれた。「Yusuf(友達がくれたトルコの名前。預言者の名前で英語ではJoseph)は家族だ。またいつでも来るといい」と。その言葉があまりにもすんなりと心に響いたことに驚いた。彼の厚い背中から感じた存在に名前をつけるとすれば、それは友達や先輩というものでなく、父親というほうがなによりも正確な気がした。さらに言えば、その愛のような感情は彼個人から受け取ったものであるが、また同時により大きな共同体から授けられたものであるという気がしたのである。

この滞在中にFurkanと何度か会って話をすることがあった。彼はアメリカでの留学後帰国し大学を卒業、航空会社に一時期務めていたが、現在は自ら事業を立ち上げて軌道に乗り始めたということらしい。言ってしまえばトルコでは成功者の部類である。家も高級住宅街にあり家具調度もきれいに整えてあった。ある日彼の叔父が経営しているというレストランに連れて行ってもらったことがある。

とても一人では入れないような高級レストラン。おいしかった。何よりも遅くまで付き合ってくれた赤ちゃんたちに感謝。これからもお幸せに。(左がFurkanの家族、右が彼の妹家族)

しかし彼には奢ったようなところがこれっぽっちもない。豊かさがよりいっそう彼の謙虚さを際立たせるほうへうまく昇華されているかのようだ。彼自身立派なムスリムである。また彼は同時に外の文化に対しても広い知見と相対的な理解をあわせもつ。彼だけが唯一トルコやイスラムに対しての批判を口にできる相手である。彼にこういう話をしたことがあった。「学生たちの多くは自分たちの社会的・文化的な枠の中では、親切で礼儀正しく人間としてとてもよい振る舞いをする。とくにこちらから彼らの中へ入り込んでいくという姿勢をもっているかぎり、彼らの生活態度や思想には学ぶところが多い。ただしその枠の外にあるもの、自分たちの知らないものに対しておそろしく無関心だったり、ときにはおそれたり強い偏見をもっていたりする一面がある」。というのも実際にそういう経験をしたことがあった。ある日私が彼らのために日本食を作ってあげたことがあった。普段から食べ慣れている材料と調理法で作れるものを考えた結果、肉じゃがにすることにした。ところが料理をしている最中に見に来るので興味があるのかと思っていたら、何か得体の知れないものを作っているとわざわざチェックしているふうであった。終いには「これは食べられるのか」と尋ねてくるものも。私にはなぜそこまで怖がっているのか理解できなかった。思い返すと彼らの食生活は驚くほど狹い。ゆえに味覚も狭い。外食をほとんどせず家で食べなれたものを毎日毎日飽きずに食べ続けている。他にもアメリカのことや同性愛についての話で衝突することがあった。「ゲイは間違っている」と言われたときはつい感情的になってしまった。「イスラム教において禁止されていることは分かっているしそれでいいと思う。でもそれを周りの世界に向かって口にするときは覚悟したほうがいい。それが異なる価値観をもつ人の耳に届いたときには、人権の否定になることもありうる。俺にはゲイの友達がいて彼らのこともここで出会った友達と同様に好きだ。そんな言葉を自分の好きな人間から聞くのは本当に悲しい」。しかし彼には何が悪かったのかいまいち理解できないようだった。

私はFurkanに言った。「イスラムの文化や価値観はムスリムでない人間にとっても素晴らしい意義をもっている。私はそれを身をもって経験した。しかしそれの意義は正しく理解されていないのが現状だ。その隔たりの最たる原因は、宗教や文化を守るために内に閉じるというやり方にあるのではないか。同世代の若者たちさえ外の世界を知ろうとする意思に欠けている。彼らはいい精神をもち能力のある者も多いだけに残念だ」。彼は賛成してくれた。「イスラムの教義の中には自分たちの教えを知らないものたちに伝え広めるというものがある。しかしそのやり方はとても難しい」。確かに難しい。それでもやるべきだと私は思う。イスタンブールは、トルコは大きく変わろうとしている。この街が世界を代表する現代都市になる日は必ず来る。それだけの力を感じる。これまでよりたくさんの人や文化が流れこんでくる。トルコ人も外の世界に出ていく機会が増える。そのとき、本当の意味で互いを尊重する関係を気づいていくためには、自分たちが大事にしているものの価値を伝えられる言葉を用意しておけなければならない。自分たちの言葉だけではそれがどんなに美しいものであったとしても伝わらないことがある。相手と対等に話をするためには相手のことをよく知り、自分の心をそれらに開いておく必要がある。そしてそれは決してこれまであったものを失うということを意味しないのだ。Furkanはそのことを私に確信させてくれたいい例であった。

ある日FurkanEyüp Moskという有名なモスクに私たちを連れて行ってくれた。日が昇る前の最初の礼拝。日中は観光客であふれるこの場所も店も開いていないこの時間は祈りにきた者しかいない。彼曰く「私達にとってはすべての存在の上に人間が立っている。日の出の前に礼拝をすることには、夜を制する、という意味が込められている」。モスクに入る前に寒い中外の流し場でAbdestを行う。まずは手、それから口、鼻、顔、腕、頭、耳、首、足の順にきれいにしていく。ずいぶん手際がよくなってきたもんだなと思った。中に入ってまずは各自で、その後に全員で礼拝をする。実はFurkanと一緒に祈るのはこれが初めてだった。まるで発表会のときの子供のような気分だった。彼がここに連れてきてくれた。恥をさらすわけにはいかない。これまで学んだことを思い返しながら祈りを捧げた。終わったあと一人の老人が近づいてきて何かを差し出した。「present」と言って私にくれたのはTesbihという祈りの際に用いる数珠のようなもの。すごくうれしかった。まるで合格をもらった子供のような気持ちだった。

次の日の金曜、二週間もイスタンブールに滞在しておきながらまだ見ていなかったアヤソフィアを一人で訪れたときのこと。現在はモスクとしての機能を失い、観光客のためのミュージアムとして開放してある。正直残念でならなかった。本来の意味を、出来事の可能性を失った空間。素直にここで祈りを捧げてみたいと思った。そのとき礼拝の時間を知らせる号令が聞こえた。今ではただのうるさいチャイムではなく、しっかりとした意味合いを帯びて私の耳にそれが届いた。その音は隣にあるブルーモスクからだった。金曜の特別な礼拝だ。気づくと足がそちらのほうに向かっていた。実はブルーモスクを訪れるのは二度目だった。前回は礼拝の時間にあたってしまい、終わるまで外で時間を潰さなければならなかった。私はAbdestを済ませ警備員のいる入り口へ向かった。観光客たちが中に入ろうとしてはねのけけられている。私はおそるおそる近づき「Selam aleyküm」と挨拶をする。彼は「Aleykümselam」と返事をして私を通してくれた。これはムスリム同士で使われる言葉だ。ガイドブックに載っている「Melhaba」は、実をいうとトルコ人同士ではほとんど使われない。それに私の髪や足は水で濡れていたままになっていた。私はムスリムとして認識されたのである。以前は通れなかった扉の先へ。私はもう「こちら側」にいる。

ブルーモスクでの礼拝は素晴らしかった。一人で礼拝に参加するのは初めてだったがいたって平常心になることができた。イマームの声が巨大な空間に響き渡り全員の精神ををひとつにする。言葉にできない不思議な安堵のなかに包まれる。家族や友人のこと、日本とトルコでの震災のこと、これから先の旅のことなどを思い浮かべながら、メッカに向かって決められた動作を繰り返す。一人一人が何を考えているのかはわからないけれど、何か共有しているものがある、ということは人間の本質に関わるものだと思う。

*以下人によっては過激な内容の写真があります。注意してご覧ください。

この前の日曜日からイスラムの伝統的な行事であるKurban Bayramıがとり行われている。いろいろな意味があるらしいが、そのひとつには貧しい人々に肉を分け与えるというものがあるらしい。これは「豊かな者は貧しい者を助ける」という教義に則っている。具体的に何をするかといえば、牛や羊などの家畜を殺しその肉を皆で分け合う。イスタンブールのような都会でもこの伝統は強く引き継がれていて、期間中は学校も休みだし店も閉まったりする。多くの人は親戚の家を回ったり実家に帰省したりする。そして私は運良く家の近所でその光景に立ち会うことができた。

祭りの前日。お金のある人が牛を買ってきて、そうでない人と共有する。牛一頭は7家族分らしい。

牛を殺すというのは容易いことではない。大人が10人がかりでやっとである。まず縄で足と首を締める。そのまま絞殺するのか思いきや生きたまま首を切り落とす。ペンキのように赤い血で一気に地面を染めていく。切断された器官から悲鳴にもならない音を出して暴れる牛を血まみれになりながら押さえる男たち。

その光景を大勢の子どもたちがじっと見つめている。しかし彼らの表情からはおそれや「気持ち悪い」といった感情は読みとれない。ただごく自然に好奇心を満たしているというふうである。大人の私でさえ少しショックを受けざるをえなかったというのに。24年間生きてきて毎日のように牛肉を食べてきながら、牛が死ぬ瞬間を目撃したのはこれが初めてだった。ふと自分の精神のある部分が、ここにいる子どもたちよりもずっと未熟であることに気づく。

牛は首を完全に切断されたあとも15分くらいの間、器官の断面から低い音を鳴らし体をひねらせて最後の生の抵抗をみせた。だが休むまもなく皮を剥ぐ作業が始められる。ナイフを使いきわめて正確な手際で黒い毛の生えた皮を剥き、その下にあるきれいな桃色の肉を現していく。その「肉」を見て不思議なことに急に安心を覚えたのだった。それは大量の血を流して横たわる「牛」という存在よりも、「牛」という存在を離れたあとの「肉」という存在のほうが私にとってよっぽど親しみがあるからである。この自分の精神に潜むある種のねじれもしくは欠陥のようなものを発見して戸惑う。これまでずっとこの瞬間を、存在の意味合いが変容する決定的場面を見過ごして生きてきたのだ。

牛の首に触れようとする子ども。彼が同時に触れた感情こそ生に関わる重要性をもつのではなかろうか。十年後には彼も年上に混じって牛を殺すだろう。その姿を小さな子どもたちが見届ける。そうして共同体の中でこの伝統が継承されていく。私に牛の確かな体温を感じ温かい血に濡れながらかれを殺す覚悟があるだろうか。

その日の夕食。謝肉祭をいうことでにわとりを一羽用意した。もちろん皮と内蔵はとってあるやつ。イスタンブールで会ったバックパッカーの大樹君と一緒に祝うことにしたのだ。メニューはから揚げと親子丼。

肉をにわとり全身の中から「から揚げ用」と「親子丼用」に切り分けていく。普段はパックに書いてある文字としか意識しない部位の名前を、ひとつひとつ手触りで確認しながら分類していく。こうしてみると筋の入り方や脂のつき方、柔らかさなど、ひとつひとつが驚くほどに異なることに気がつく。これらひとつひとつの筋肉が見事な連帯関係をつくることによって、にわとりという存在の全体性が成立していたのである。少しだけ「生き物」と「食べ物」の間が意識のなかでつながった気がした。

いい笑顔。感謝の気持ちが表れている、と思う。余った骨の部分は翌日スープカレーに。全部うまかった。

長くなりましたがこういう感じで元気にやっています。とにかくこの国からは学ぶことがまだまだあると実感。これから先の道も全力で走ります。いつも支えてくれている皆さんありがとうございます。とりわけ急なお願いだったにも関わらず、追加物資の提供をしていただいたモンベル様、誠に感謝いたします。大切に使わせていただきます。

最後にイスタンブールで会った皆へ。この街はもう「訪れた場所」ではなく「帰ってくる場所」であると思っています。本当にありがとう。

To everybody I met in Istanbul, this city is not the place such as “where I have been” but “where I have to come back” . Thank you for everything and wish you all the best and we will meet again.

İstanbul da tanıştığım herkese;bu şehir sadece ‘şu an bulunduğum yer’değil ,burası ‘Tekrar geleceğim bir şehir.’Herşey için teşekkürler ve her şeyin en iyisi temennisiyle… Hoşçakalın…Senı sevıyorum!!